通訳というのは

俺の通訳が悪いと言う。
いやね、だからさ、俺の英語もドイツ語も日本語も“要点のみ翻訳”するだけなんだから、一語一句間違えずに訳してもらおうなんて勝手に期待すんなって。だったら通訳を雇えっての。


と思っていたが、どうやら俺も悪い。俺が悪い、のではゼッタイに無い。が、俺も良くない。
だから、なんでそんな言われ方をせにゃならんのか、理由を考えてみた。
しつこいようだが、俺“が”悪いのではない。しつこいようだが、絶対にそれはない。
でも、俺が考えていたより、俺も良くないってことだ。


一つ目は、いわゆる語学力の問題。
語彙が足りなかったり、文法が間違っていたり。
特に俺のドイツ語はまぁひどいもんだが(もちろん日本人としては上出来)、じゃあ英語はどうかっていうと、胸張って充分とは言えん。
まぁそれは俺も認識していた。そしてそれをレベルアップすべく日々努力しているかというと、していない。はい、ごめんなさい。


二つ目は、俺が相手の言いたいことがわかっていないということ。
相手はこういうことを言っているのだ、という範囲が微妙にずれてたりする。人は聴きたいことしか聴いていない、という一般論の範疇かどうかは、正直不明。
だけど簡単に言うと、つまり人の話を聴いていない。聴けていない。
これって、通訳云々いう前に、社会人としてかなりヤバイ。
要約できないんだったらせめて逐語訳してろってか。


三つ目は、俺の通訳は完璧じゃないですぜってことが、ちゃんと伝わっていなかったってこと。
相手の期待値を読んで、違うぜっていう説得が出来ていなかったんだな。
これも30半ばの社会人としてはお寒い。


そして、これらの根本に脈々と流れているのは、結局のところ“伝える”事に関して等閑だってこと。投げ遣りコミュニケーション。
この辺はもっと深く考える必要があります。何か手を打たないと。


と書いている途中ですが、今日は眠くてたまらないので、もう寝ます。
中途半端ですが、また書くことになると思います。